デス・オーバチュア
第185話「儚き食い倒れ」



「お別れを言いに来てくれたのね……いらっしゃい」
エラン・フェル・オーベルは揺り椅子に座ったまま、器用に扉を開けて入ってきた黒猫を出迎えた。
黒猫はエランの元に駈け寄り、膝の上に飛び乗ると、丸まってしまう。
エランが優しく体を撫でてあげると、黒猫は気持ちよさそうに鳴き声をあげた。
「ねえ、黒猫さん、私は正確には『魔法使い』だけど……あなたさえ良ければ……あなたの『魔女』になってもいいのよ……」
黒猫に語りかけるエランの口調は、普段の冷たくも感じる他人行儀な丁寧語と違って優しくくだけた感じである。
「んにゃ〜……」
黒猫は少し困ったような感じで鳴いた。
「……そう……幸せね、あなたの魔女は……ああ、私のことは気にしなくていいから……でも、気が変わったら……ううん、いつでも遊びに来てね、お友達として歓迎するから……」
エランは猫の一鳴きだけで全てを察する。
「にゃあ〜にゃあ〜」
黒猫はエランに甘えるように体を何度か擦りつけた後、膝の上から飛び降りた。
「……『門』はまだ使えるようにしてあるから……クロス達に宜しくね……」
「にゃ?……にゃあ……」
黒猫は一瞬驚いた後、まるで人間のように御辞儀をし、部屋の外へと駆け出していく。
「ふられちゃった……『アニス』ちゃん可愛かったのに……まあ仕方ないか……」
エランは、黒猫が消えていった扉を一瞬見つめた後、未練を断ち切るように瞳を閉ざした。



「さてと……」
ディーンは踵落としを極めてガイを大地に叩き伏せると、視線を『その他の者達』に移した。
黒い法衣の少女、銀髪の少女、紫色のメイド……以上三人がガイの同行者のようである。
「ん? 後一匹いた気がしたが……まあいい。何のようだ、お前ら? まさか全員、この失敗作の女ってわけでもねえだろう? こいつはペドフィリア(小児性愛)野郎だしな」
「……誰がペドだっ!」
「おっと!」
ガイが立ち上がりながら放った剣の一閃を、ディーンは後方に飛び離れてかわした。
「お前のことに決まってるだろう、この駄作が」
「…………」
ガイの左手にはいつの間にか青銀色の幅の広い剣『静寂の夜(サイレントナイト)』が握られている。
「そう……その剣だ……」
呟きと共にディーンの姿が、ガイの視界から消えた。
「二度も同じ手を喰うかっ!」
ガイは振り返り様に剣を横に一閃する。
だが、そこにディーンの姿はなかった。
「一手遅せよ、阿呆」
頭上からの声。
「寝てろ」
「ぐぅっ!?」
ディーンは上空から縦回転しながら降下し、ガイの脳天に右足の踵を叩き込んだ。
さらに、俯せに倒れ込んだガイの後頭部を思いっきり踏みつける。
「さて、お話しようか、お嬢さん方?」
ディーンはガイの後頭部をグリグリと踏みにじりながら、少女達に楽しげな微笑を向けた。



極東にどんな願いでも叶えてくれる魔女が居る。
まずは、青い『鬼』に『魔女』のことを尋ねなさい……セレスティナはそう告げた。
その後、アニスという以前にも会ったことがある猫耳少女が姿を現し、クロスの客であるアルテミスとガイがこれから極東に向かおうとしていること、彼女達は極東に詳しく、『鬼』にも心当たりがあることを教える。
そんなこんなで、タナトスは彼女達と共に極東へ旅立ったのだった。
もっとも、旅といっても、クリアの転移装置を使用したので一瞬で極東へ到着してしまい、旅の情調も何もあったものではなかったが……。


ガイ・リフレイン。
以前に一度か二度擦れ違ったことがあるものの、彼とはまだ殆どつき合いも無く、彼について知っていることは以前から噂で聞いていたことぐらいだ。
それでも、噂や実際に会って感じた彼の実力はかなりのものである。
おそらく、剣術や体術などの正当な勝負なら、自分に勝ち目があるとはタナトスには思えなかった。
その彼を、文字通り足蹴(あしげ)にしている存在が目の前に居る。
ガイの師だという男、斬鉄剣のディーン、この極東では紺青鬼(こんじょうき)とか、青鬼とか呼ばれて恐れられている存在だ。
斬鉄剣のディーンの方の名ならタナトスも聞いたことがある。
ガイ・リフレインと同じように、世界一とか、地上一の剣士の候補としてよく名の上がる剣士だ。
それが強さに直結するわけではないだろうが、ガイやサウザンドやセイルロットに比べると知名度はかなり落ちる。
なぜなら、彼は強いという噂を聞くだけで、特に伝説や肩書きがないからだ。
ガイならガルディア十三騎第一騎士『黄金騎士』、セイルロットなら聖騎士団団長にしてホワイトの第七王子といった具合に解りやすい肩書きが存在する。
斬鉄剣のディーンは、伝説の魔法騎士サウザンド以上に、正体……実像が謎な剣士なのだ。
彼について解っているというか、有名な通説は……曰く、斬鉄剣に斬れぬモノ無し。
彼の持つ斬鉄剣はその名の通り、鋼鉄をも容易く斬り捨てるのだ。
「ぷはぁ、ほら、用があるならさっさと話せ」
実物の斬鉄剣のディーンは、俯せに倒れているガイの上に座り込んで、トックリから直接酒を呷っている。
「酒……極東酒……」
タナトスは無意識にトックリに視線を向けてしまった。
「あん? もしかして酒に興味があるのか、そこの黒いの?」
「ちょっと、あなた! 黒いのって何よ!? 黒いのって!?」
クロスが聞き捨てならない単語に過剰に反応する。
「お前には聞いていないぞ、銀ぴか」
「ぎ……銀ぴか……?」
予想外すぎる単語に、クロスは呆然とした。
「銀ぴかはあんまりです! お嬢様はこれでもお嬢様なりにファッションに拘りを持たれているのですよ!」
「……ファーシュ?」
ファーシュは必死に主人を庇ったつもりなのだろうが、今の発言はかなり微妙にクロスは感じる。
「それは悪かったな、別にお前の主人を悪く言ったつもりはないぞ、紫メイド」
ディーンは微笑を浮かべながらも、あっさりとファーシュに詫びた。
「なんか、扱いに激しい差を感じるんだけど……」
「さて……いい加減、用を言ってくれないか?」
クロスの呟きは無視して、タナトスに話をうながす。
「あ、ああ……酒……じゃなくて、魔女について聞きたい……」
「ああっ? 魔女だとっ!?」
微笑を浮かべながら酒を呷っていたディーンが、魔女という単語を聞いた途端豹変した。
「あ、ああ……あなたが知っていると……」
豹変したディーンの険しい剣幕に、恐れを感じながらもタナトスは話を続ける。
「誰に聞いた……捨て……黒猫か?」
「黒猫?」
「いい歳して猫耳生やした幼女だ!」
「ああ、アニスか?……確かに、彼女から『も』聞いた……だが、いい歳というのは……?」
「やっぱり、あの捨て猫かっ! どうせこの餓鬼に俺の居場所をバラしたのもあいつに決まっている……」
ディーンは八つ当たりをぶつけるように、ガイの後頭部を右拳で殴った。
「たく、あの捨て猫が……」
吐き捨てるように言うと、今までより荒々しく酒を呷る。
「あの……それで、魔女は……?」
タナトスは恐る恐るといった感じで尋ねた。
見た目は十八歳前後……つまりタナトスともあまり歳も変わらないように見えるのに、なぜか彼を相手にすると畏まってしまう。
十八歳前後にしか見えない外見をしていながら、彼から感じる印象はなぜか二十代後半〜三十代前半の大人な男性のものだった。
間違っても、『お前』呼ばわりなどできない。
「ふん、お前に願いがあるなら、捜さなくても向こうの方からやってくるだろうさ」
「向こうから来る? どういう意味だ……?」
「言葉通りだ……俺には永遠に見つけられなくても……お前にならあっさり……とっ!」
「いつまで乗ってやがる!」 
ディーンが座り込んだ体勢のまま空高く垂直に跳躍したのと、いきなり立ち上がったガイが剣を切り上げたのはまったくの同時だった。



「……で、お前の方は俺に何の用だ、餓鬼?」
ディーンはガイと向き合うような位置に着地した。
「…………」
ガイは無言で剣を正眼に構え直す。
「なるほど……差詰め誰かにぼろ負けして、鍛え直しに来たってところか……」
「…………」
図星だった。
ガイは無言……否定しないことで肯定する。
「たく……」
ディーンは苦悩するように左手を額に持ってきたかと思うと、その姿を消した。
「くっ……」
真下に気配を感じたガイは、剣の背を盾にするようにして下に向ける。
「だったら、再修行お願いします、お師匠様と素直に言いやがれっ!」
ガイの足下に出現したディーンは、盾として突き出された剣の背ごと、彼の顎を垂直に右足で蹴り上げた。
ディーンは蹴り足を引き戻すと即座に跳躍し、空高く吹き飛んでいくガイを空中で追い抜く。
そして、縦回転しながら降下し、左足の踵をガイの脳天へと振り下ろした。
「二度も喰らうかっ!」
ガイは剣の背を盾にして、ディーの左踵を受け止める。
「馬鹿がっ!」
「がっ!?」
ディーンの右膝がガイの顎にめり込んでいた。
さらに右膝を引き戻すと同時に、左足でガイの後頭部を派手に蹴り飛ばす。
ガイは物凄い勢いで、地上へと叩きつけられた。
「だから、お前は阿呆なんだよ」
ディーンはゆっくりと両足から地上に着地する。
「足は二つあるんだ、片足を両手でガードしたら、残りの足で蹴られるのは当たり前だろうが……まあ、両手で支えずに、片手で突きだした剣で俺の蹴りを止められるわけもないがな……」
ディーンは愉快そうに微笑すると、ガイが落下した森に背中を向けて、庵へと歩き出した。
「ま……待て……」
森の中から姿を見せたガイが、ディーンの背中を呼び止める。
「心配するな、これで終わりじゃない。ちょっと着替えてくるだけだ」
ディーンは振り返らず、庵への歩みを進めながら、背中で答えた。
「……着替える……?」
「普段は着物だと楽でいいんだが……本気で動くと脆くて破れちまうからな……それに、着物だと蹴りを放つ際にサービスしすぎちまうからな」
ディーンはクククッと笑う。
「……何がサービスだ……あんたの太股や下着なんて見たくもない……」
サービスというのが何のことか解ったガイは、文字通り吐き捨てるというか、吐き気を堪えるような表情で言った。
「だったら、準備運動でもしながら大人しくそこで待ってな」
「くっ……」
ガイは不満そうな表情を浮かべながらも、大人しくその場に立ち止まる。
「まあ、焦るな……ちゃんと足腰立たなくなるまでいたぶ……鍛えてやるからよう……」
ディーンは物騒なことを言いながら、庵の中へと消えていった。



美しい月夜を一匹の赤い蝙蝠が飛んでいた。
赤い蝙蝠は地上へと急降下していく。
地上へ激突する直前、蝙蝠は人型へと変じた。
まるで蝙蝠の翼のようなボロボロの長いマントの下に、赤みがかった黒と薄赤い白でデザインされた、リボンやフリルの多い可愛いらしいエプロンドレスを着た十三歳ぐらいの少女。
少女の髪と瞳は赤みがかった金色だった。
吸血王ミッドナイトの娘、マジックナイトこと赤月魔夜である。
彼女は、最近のお気に入りの『御飯』であるクロスと共に極東にやってきながら、一人だけコッソリと集団から抜け出していた。
「さあ、極東食い倒れ一人ツアー開始だぜ〜」
魔夜は、願いを叶えてくれる魔女にも、修行にも欠片の興味もない。
彼女の興味……目的は、極東の本場の料理を味わい尽くすこと、学ぶことだけだった。
「相変わらず食い意地の張った子ね、魔夜」
「いっ!?」
山中を陽気に歩き出そうとした魔夜の肩を、突然背後から伸びてきた細く白い手が掴む。
「……げっ!? なんで兄貴が……」
「聖なる爆弾(セイントボム)!」
振り向いた魔夜が驚きの声を上げた直後、銀色の閃光に包まれて大爆発した。
「この姿の時はイヴと呼ぶこと……人前で私の名前、性別を暴露したら爆殺すると言ったでしょう?」
魔夜を爆破したのは、長い銀髪をポニーテールにした変形(少し変わったデザイン)メイド服の少女……彼女の『義兄』ホーリーナイトこと赤月聖夜ことイヴである。
「だからっていきなり爆破することないだろう、兄貴!……しまっ……!?」
爆煙が晴れて姿を現したばかりの魔夜の顔面をイヴの右手が鷲掴みにした。
「魔夜、馬鹿な子……」
「待て、お兄……じゃなくてお姉様! ここは……」
「爆殺!」
銀色の閃光と共に、先程の倍以上の大爆発が起こる。
「……だ……だから……二人きりなんだから、人前じゃない……はずだぜ……お姉様……」
全身煤だらけの魔夜が口から煙を吐きながら、反論した。
人間なら間違いなく粉微塵になる程の大爆発にあいながら、この程度の見方によってはギャグにも見えるダメージで済んでいるのは、魔夜が最上級の吸血鬼だからである。
「ん? 言われてみればそうかもね」
「……わ……解ってくれて嬉しいぜ……ぐふぅ!」
魔夜はバタリと前のめりに大地に倒れ込んだ。
肉体は吹き飛んでいない、派手な傷は負っていないように見えても、しっかりと爆発の衝撃と火炎でダメージは受けていたようである。
「ああ、もうこんなに汚くなっちゃって……しょうがない子ね。親切な『お姉様』が温泉にでも放り込んであげましょう」
イヴは、魔夜の襟首を猫か何かのように掴んで持ち上げると、湯気の立ち登っている方に向かって歩き出した。







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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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